2014年2月27日木曜日

amber 琥珀

ポーランドに1998年~99年にかけて滞在していた。

私がいたのはブロツワフという町。

精油を売ってくれていた女性がここに住んでいて、ご縁があってここに滞在することになる。

どこかblogで書いたことがあるけど、私は大学受験のとき地理を選択していて、グダンスクは造船の町、ポーランドの海と覚えていたけど、同時にここは琥珀の町でも有名。

ポーランドの町は、リネックという「中心」があって、そこはカフェやら、デパート(のようなもの)やらが四角形に形成されている。ブロツワフのリネックのビールやさんや本屋さん、琥珀やさん、ガラスやさんなどにはよく訪れた。ときどきリネックでおまつりもあった。

で、琥珀に戻るけど、ポーランド国内では琥珀は珍しくもなんともなく、ふつうにいっぱいそこらへんにある。

いいものは、もちろん、いいので値段もそれなりだけど、若い子のおこづかいでも手に入るものがたくさんあって、私もいくつか購入した。

さて。時は現在に戻る。

琥珀のような色をしたネックレスを夫がもってきた。(たぶんどこかで仕入れてきたのでしょう)

それをみた、おとなりの家のアヤネちゃんが「これは、のどの痛みに効くアンバーじゃないの?」と。

あれ? そうなの?? 

私、過去の記憶がまた戻ってくる。そういえば、クラッシュしたアンバーが売られていて、それをチンキのようにアルコールで抽出し、のみものに何滴かいれてのむとのどの痛みをとると聞いたことがある。

アクセサリーを身に着けているだけでもその効果はあるらしいとアヤネちゃん。
(ほんとかしら!?)

こんな記事をみつけた。

琥珀は、昔から病気や災厄から身を守り、富と幸運を呼ぶお守りとして大事にされてきました。身に着けることで邪気を払い、精神を落ち着かせてくれるといわれています。のどの痛み、風邪や神経痛に効くとして琥珀入りのクリームやエッセンスがいまでも薬局で売られていますよ。

(agora 2012年1.2月号)



Martinique マルティーニク島

島にいつも恋い焦がれる。なぜか。たぶん両親が島の出身でルーツがきっとあるからなんだと勝手に思っている。私の名前。美帆の帆は、帆船のハン。私の旅にはいつも船がついてくるし、いつも船に乗ろうとしている。

で、まだいったことない島。マルティーニク島。

martinique

語源は「花の島」というらしい。

フランス領で、ユーロを使っているとのこと。

いってみたいところがまた一つふえた。


2014年2月24日月曜日

バレエ

私、小学生のころ脊柱側弯症を発見されて(結構ひどい)コルセットを着用していた。まったくもって絶望的な日々だった。(側彎の部位によっては首まで固定されてしまうものもあったり、それ以上進むと手術をうけよ、となったりする)

妹もこれに罹患したけど、彼女はわりと運動をしっかりこなしていて、私よりずっとずっと軽くてすんだ。(経過観察のみ)

で、できたらコドモにはこの病気になってほしくなく、姿勢を保つ意味もあってバレエストレッチに週に1回いっている。

3歳ちょっとのコドモには結構きついものがあるのか、小学生のお姉さんたちのなかで自分がいちばん小さく、できないできない、といって私のところにすぐ戻ってきてしまう。なかなか、レッスンの中にはいってやっていけない。先生もすごく気を使ってくださって、申し訳なく思う。

レッスンにはトータル9回いった。やっとこさ、ちょっとなれてきて、お菓子の交換をしたりして、お姉さんたちとコミュニケーションをとることができるようになってきて、今朝はなんと「バレエにいきたい」というではないか。

脊柱というのは実に大事なパーツで(人間の体で大事でないパーツなどないのだけど)ここがねじれたり曲がったりすると、生活全体に支障がでる。服がまっすぐ着られない。(曲がってしまう)、姿勢が悪いというレベルでなく骨のつなぎが曲がっているので、腰のいつも同じところが痛む(同じ姿勢をキープできない)などなど。

ということで、今はまあ、楽しければいいかなという感じで、レッスンに通わせている。

ついでに、私もみていたらやりたくなって、自分も中高年のバレエストレッチに参加中。

2014年2月22日土曜日

ダディーのにおい

「ダディーのそばにいくと、スコッチウイスキーと、葉巻と、英国のペア石けんと、ラヴェンダーのオーディコロンが混じった匂いがした」

と述懐する朝吹登水子。

サガンの悲しみよこんにちはの翻訳者。

私は、森瑤子さんの大大大ファンで大学生のころ通学やアルバイトに向かう電車でいつも読んでいた。森瑤子さんの作品は、サガンに似ているといわれていて、サガンの作品も読んだ。サガンの小説はいつも最後胸がちくりとした。

その翻訳の朝吹登水子さん。旧朝吹山荘が軽井沢に保存されている。
湖畔にある美しい茶色のお屋敷。

祇園祭 山鉾の彩り(AGORA 2011年 7月)

P37  祇園祭 山鉾の彩りより 
32基の山鉾の先頭をいく長刀をつけた「長刀鉾」と、最後尾を務める「南観音山」に伝わるのが、ペルシャ帝国サフィヴィー朝の通称「ポロネーズの絨毯」」である。
イランのイスファハン製で、退色は否めないが、紅花による赤、そして黄、緑、はなだなど多彩な色が絹に染められている。ポーランド王室御用達の名品と推察される。 
鉾頭に18金の三日月をつけた「月鉾」には、イスラム文化の色濃インドのムガール帝国のラホールで織られた円形のメダリオンと花葉模様を表した真っ赤な毛織物段通がある。赤い色素をもつ昆虫、臙脂虫で染めており、保存もよくあざやかな真紅を保っている。

昆虫から染色する綿(絹)は本当に美しい色。ポーランドやらイランやらいろんな名前がでてくるけど、ポーランドに住んだ経験があったり、イスファハーンにも旅したことがあるのでなんとも一方的に親しみを感じる。

2014年2月18日火曜日

自分の仕事のこと

どうも、すごく好きなことを仕事にしているので、仕事を仕事と思っていないところがある。

仕事というのは、つらくて努力を重ねて、打たれても立ち上がり打たれても立ち上がり、いやな社長や同僚と付き合ったり、寝ていても夢の中で仕事をしたり、残業してもお金がでなかったりすることなんだと、、、いくつかのブラック企業で働いて、そんなふうに思っているところがある。

ブラック企業。

そもそも、みんな好きでその仕事にはいってくるのに、社長がちょっと変わった人物だと、そこそこの社員数がいる会社ですら、すべてが社長の思うがままで、社員は振り回される。

私はきる服や手帳にいたるまでチェックされた。(私がきている服は社長には気に入らなかったし、私が使っていた安っぽい手帳もまた気に入らなかったらしい。どんだけすごい仕事を私はしていたのか!!!)あるコミックを出している(これまたグレーゾーンな仕事だった)会社の秘書ということで。かわった社長だったので、秘書なんてやってらんない、と次から次へと人が変わって、私は何代目だったのかしら。

よく人を恫喝する人だった。ご趣味は? と尋ねたら「恫喝です」って答えてもいいんじゃないか。

で、それも、人前で(社員やスタッフやお客さんの前で)やるんだ。やられたほうはたまったもんじゃない。よく、切れて、包丁もちだす人がいなかったなと思う。

私も恫喝されて、へこんだ。何にへこむって、心の中ですっごくいろいろ素敵な切り替えしの文句を考えるのに、それがとっさに言えないこと。それに対して悔しいと思った。

それでも(こんなクソみたいな会社ですら)全国から、「タダでもいいから働かせてください」とおたよりがきていた。憧れの「マスコミ」みたいな仕事だと勘違いしたからか・・・

なのでたった2か月しか私はいなかったけど、採用面接の手伝いを何度も行った。(私は、履歴書の人に連絡しただけだけど)

親は心配だよね。立派な大学だしても、こんなところに就職されちゃったら・・・(と、いうような会社だった)

それと、信用取引ができない。(金払いが悪い。会社の財務が悪いから。社長は気に入った社員にだけ給料を払っていた。わたしなら、もらえなかったらすぐやめるけど・・・負債が増えるだけだから・・・けっこうみんな頑張ってた。)
こっそり私を派遣した会社に電話して「私の給与がでるかわからない。前の派遣会社から取り立てがきてる。チェックせよ」と伝えたりした。

いまどうなってるのかなと思って検索したら驚いたことに採用活動を相変わらず行ってる! 地雷を踏む人も、きょうび、とりあえず、会社検索してから申し込むと思うから少なくなってると思いたい。

雪の日々

最初はいいんだ。降り始めの時は。さあ、食べ物かって家でのんびりしましょうなんていっちゃって。
でも、トンイも全部みちゃったし、そろそろ退屈してくるころ、恐ろしいほど雪が積もって、やることは雪かきしかない。

体つかってるから寒くはないけど、腰が痛い。痛くなっては家に入り、治ったら外にでてを繰り返す。

やることが山積み。ほんとは本気だせばすぐ終わることなのに、本気でない。

人は2種類のタイプにわけられる。

雪かきがすきなひとと
雪かきがきらいなひと。

なんて思いながらせっせと雪をかく。
私はどっちかというと好きなほうかも。

ご飯食べた後は、運動だとかなんとかいってしばらくやってまた腰がいたくなって戻ってくる。

雪かきは全身運動でけっこう疲れる。本人が思う以上に疲労するようで、ぐっすりよく眠れる。





2014年1月20日月曜日

持つ者と持たざる者

持っていないっていうのはいいことなんだなーって感じたエピソード。 


隣のおうちにいって坊主めくりして遊んだ。

これなら3歳児も参加して遊べる。 

で、私、結構カード集まってきて、坊主ひくの怖くなった。このまま ゴールしたい!と。 

ところが、坊主ひいちゃった。 
でもなーにもなくなったら、カードひくのちっともこわくないの。くるならこい や、って感じで。

ああ、貧乏って楽ちんだ(笑)って思った。

人は持っているから不安になるんだ,、を体感した出来事でした。

母にこの話いったら「あんた、貧乏でも大丈夫だもんね。昔から」って・・・え、そうなの? といいますか。逆のシチュエーションを体験したことがないだけなんですけど・・・。

語学・・・フランス語のこと

パリって素敵。

で、大学の第二外国語でフランス語でもとればいいのに、なぜかドイツ語をとってしまい、
どうしてもこれをドイツ語で見たり聞いたりしなくてはいけないという気持ちも薄ければ
ドイツのあそこに行きたいと思う気持ちも薄く、さっぱりそんな生徒は上達しない。

なんでも目標というか、こうしたいと強く願う気持ちが大事なんだと思う。

で、やっぱりフランスがいいじゃないか、と(単なる思い込みですが)思い、ラジオやらテレビやらでフランス語会話をやってみたり、アテネフランセにいったりした。

ここではいろんな人がいた。早朝のクラスにもでたけど、これは眠くてあんまり話も聞こえなかったけど、出勤前のサラリーマンやOLさんがいた。お仕事で必要なのだろう。

夏休みのクラスにもでた。発音のクラスで同じだったテキスタイルのデザイナーさんもいた。(この発音クラス、当時、歯の矯正をしていた私には非常にきびしいクラスだった。)なぜか、私この人に気に入らないって思われていたみたいで、あいさつしても無視されたりして、小学校時代のいじめについて思い出した。

最初はボタンをくれたりして、(ほしいなんていってないのに)なんか不思議な人だと思ったけど、ある日突然態度豹変で、口もきかず、カフェであってもスルーされるようになった。さっぱりどうしてだかわからない。人は突然何かのきっかけでこういうことが起きるものなのだ。

それはまあ、いいとして、会社員だったとき、歩いてすぐのところにビストロみたいなところがあって、ときどき食事をした。フランスの定食屋さん。そこの店長がプライベートレッスンをしていて、(すぐとなりのビルの一室。。。たぶん自宅として借りていたんだと思うけど・・・)そこで習っていた。外国人にはいいお小遣い稼ぎだと思う。でも、その先生、文法しかやらないので、退屈で眠くて眠くて仕方なくて、たった3、4人のクラスだっていうのに、我慢しきれずに、船こぐ私・・・

これまた、いつはじめて、いつやめたのか(やめますって宣言したつもりもないし)さっぱり覚えてないけどいつのまにかいかなくなってしまった。このお店はいまはもうないので、先生、フランスに帰っちゃったかな? お店でお給仕していて、日本語はペッラペッラ。自宅で教えているのにも関わらず、生活臭がほとんどなくて、結婚してるんだかしていないんだかすらわからなかった。

(私よりはたぶん10くらい上だと思う。おとこの先生。tu での活用は教えてくれない。君にそんな親しいフランス人ができないだろうからvous で十分といわれた。たしかにそうかもしれないけど・・・)

なんと!

美容師さんに、何か夢でもみてたんじゃないかといわれて、気になって気になってKちゃんにメールして、私たちが英会話ならってた先生の名前なんだったっけ? と聞いたらすぐお返事があり
(パキスタン人だった)検索してみたら・・・夢でなかったことがわかった。

アランカリム先生。まだ稲毛で英会話学校やってた!!!

http://www.geocities.jp/liaispleasant/index.html

じーん。目頭が熱くなる思い・・・

習い事

こどもの習い事にはかなり考えさせられる。いま3歳なので、さして自分からあれがしたいこれがしたいということもないのだけど、耳のことを考えるといま英会話をやるほうがよいとか、水泳にならわすと体が丈夫になるとかピアノをはじめるとよいとかいろいろなことを聞く。

で、いまは柔軟体操の意味でバレエのストレッチのクラスに参加させていただいているが、これがまあ、やる気があるんだかないんだか? で、小学生のなかでいちばん小さい自分、思うようにいろいろなことができなくて気おくれするのか? わたしがそこにいるのがいけないのか? さっぱりちゃんとできたためしがない。

本人が嫌いで仕方ないというなら、無理にはやらせないんだけど、帰りに「楽しかったね」というので、そうか、楽しかったのか・・・とまた翌週いってしまう。もしかして、私が「どうだった? 楽しかった?」と尋ねるから誘導尋問されたコドモが「タノシカッタ」と機械的に答えているだけかもしれないと思うといろいろ考えてしまう・・・

それはそうと。

私自身の習い事。

小学校のときにピアノやお習字かきかた、英会話、そろばん、水泳様々なことを習わせてもらった。何一つ結果を残していないけど、夫が楽譜をみてドがどこかわからないのをみて、それが当然わかっていると(世の中の人が)思っていた私は衝撃をうけた。そうか。こういうことなのか。やらないとできない。当然だけど。

そのかわりに彼がふつうにできて、やってきたことで私ができないことが山ほどある。世の中はバランスで成り立ってる。いつもそう思う。

高校生のときに英会話をふたたび習いたくて、どこをどうしてその教室を知ったのか覚えてないけど、(たぶん友人Kちゃんがみつけてきたのだと思う)英会話学校に行きはじめた。カナダで生活をしていたネパール人だったと思う。

このネパール人・・・熱心な矢追純一ファンで、不思議ネタが大好き。
だ、もんで、この日本語を英語にせよ、って宇宙人の話ばっかり・・・

私がここで身に着けた英語といえば「running nose」くらいなもので(鼻が出ます)、あとは宇宙がどうたらこうたらと、不思議話ばかりで、あまり日常生活に関係ないから忘れてしまった。

で、この話を髪をきってもらいながら美容師さんにしたら、それって本当にいた人なんでえすか? そのネパール人? って。え、これ、私の想像の人物なの!? いま町であっても分かるくらい鮮明に覚えてるのに。(あ、でも名前わすれたからKちゃんに聞いてみようと思う) 

Kちゃんと私、ふたりして何か夢でもみていたのだろうか。

2014年1月18日土曜日

勇気って? ABOUT courage


小学生のころ、道徳の時間に先生が勇気って何だと思う? と聞いた。
私は挙手しなかった。わからなかったから。

ある男の子は「ビルからとびおりること」

ある女の子は「いじめにたいしていけないということ」

など、解答した。次々いろいろな「勇気」がでた。

そのとき、先生がどう畳んだのか覚えていなかったけど、ビルからとびおりることが「勇気」ではないということはいっていたと思う。

いま読んでいる本「夜間飛行」でサン=テグジュベリがアンドレジッドに送ったお手紙が紹介されていて、ここに勇気とは何か、ぴたっとくることが書いてあったのでメモしておきたい。

勇気というやつは、たいして立派な感情からできてはおりません。
憤怒(いかり)が少々、虚栄心が少々、強情がたっぷり、、それにありふれたスポーツ的楽しさが加わったというだけのしろものです。 
肉体的な力の激昂はたいしたものですが、これはあいにく何の役にも立ちません。いずれかといえば、むしろ愉快です。これが夜の出来事ですと、非常にばかなことをやらかしたという気持ちが一つ加わります。今後僕は、単に勇気があるというだけの男なら絶対に尊敬はしないつもりです。

(サン=テグジュベリ)

そして、アンドレジッドはこの引用文の題言として、キントンの書から引いた格言を置いた。

恋愛と同じく、人は自分が勇敢だという事実を隠したがる。

またはもっと適切に

勇敢な人間は、金持ちが慈善を隠すのと同じく、その行為を隠す。彼らはその行為に変装させるか、でなければそれを詫びたい気持ちになる。

小学生のころ、ある科目で、点数が思ったよりよかったので、喜んでいたら、隣の席だったHちゃんが「能あるタカはツメを隠す」とつぶやいた。

すごく恥ずかしい気持ちがした。たまたまよかった点数よりもHちゃんみたいにコツコツ勉強して、(もちろん私よりいつも成績がよかった)ワーワー喜ばないことだと思った。本当に間抜けな自分。

そのことを、ふと思い出した一文でした。

そう。勇気って、ばかげた感情なんだと思う。その場の雰囲気でおされてしまう。でも真の勇気というのは、表立ってでてくるものではないんだと。

2014年1月7日火曜日

ワインが好きだ LOVE WINE!

瓶詰のワインよりたるワインのほうが新鮮で安くのめるらしい。
(ボトルやラベルのコストがないので)

シティーワイナリー city winary

イタリア料理店
オステリアモリーニ
も樽ワインがあるとのこと。

安くだせるっていっても・・・ニューヨークでしょう・・・(信用できない目)あ、私のレベルが低すぎるか。。。ニューヨーク。いったことない。きっと寒いんだろうなあ・・・

関係ありませんが、コストコで、モンテプルチャーノダブルッツォの大びん(1.5リットル)買って楽しんでいます。わたし、これで十分。美味しいワインです。

サイモン・ラトル Sir Simon Rattl

ベルリン・フィル団員

サー・
サイモン・ラトル

デジタルコンサートホール ベルリンにいないからこれで見よう。(きこう)

youtubeより・・・


指揮者がサー・サイモン・ラトルです。

ハンス・シャロウン(建築家)Bernhard Hans Henry Scharoun

ハンス・シャロウン(建築家)

ベルリンフィルハーモニーの建築家


かわった形・・・(斬新)
カラヤンのサーカス小屋
という異名をもつ


なんとなく気になって調べるとなんとまあ、私もちらりと外国人語学コースでポーランド語を習っていたブロツワフで・・・ブレスラウ工芸専門学校で教授をされていたよう。

ところでブロツワフってwroclaw l はちょんが付くんだけど、このまま読んでもらってブロツワフっていったほうがより現地人がつかう言葉に近い。

ブレスラウっていっても通じにくいんじゃないかと思う。

ベルリンとブロツワフの間は鉄道がとっていて、かなり気軽におとなりの国にいくことができます。

(電車で6時間・・。日本に帰ってくるときこの道のりで帰ってきたのを記憶している。友人のアーティストにかいてもらった達磨の絵を電車に忘れてしまったことがいまだに心に残っている。ごめんなさい・・・)

フリッツハンセン エッグチェアー FritzHansen egg chair

FritzHansen
ARNE JACOBSEN