2020年7月20日月曜日

we will meet again

ロックダウンは解除されたけどなんだかいろいろと自由放免とはならない世の中。

zoomやらスカイプやらで、顔をみて話ができたり
(個人的にはとても苦手です)
オンライン飲み会とか
(一回しかやったことがない)
するのだけど、
人はこれで「会った」ことにはならない、
会ったと認識するには、
嗅覚とか味覚とかの感覚が必要なのだという記事を読んだ。

なるほどその通り!

オンラインでつながってもそれは「会った」ことにはならないと。
で、エリザベス女王さまはwe will meet again とおっしゃったそう。

今日、上りのバスにどのくらい乗ってないかな?
と考えてみたら半年ものっていないことに気が付いて驚いた。

まず、用事や約束がない。
下りのバスや電車にのって仕事場にいって
帰ってくるということはあるのだけど)

これでなんとかなっちゃっているといえば、
そうなのだから結構なことなのだけど。

これはいつまで続くのかしら。

2019年10月19日土曜日

ロシア―モスクワ




夏に母がロシアにいった。ロシアとひとことでいってもやたら国土は広いのだけど、母がいくツアーだから不思議なところにはいかない。(ごく一般的なツアーなので)
なので、有名どころを押さえてきて、私に、スタバのタンブラーを買ってきてくれた。(マトリョーシカデザインでかわいい)



ロシアの公用語はロシア語である。
私は昔々ポーランドに少しだけすんでいて、ポーランド語を学校にいって勉強したけど、そこではじめて、「対格」という格を知った。(アキュザティブっていってた)もう、これが日本語にはないので、本当に難しく感じた。

ロシア語はやったことがないけど、なんとなくポーランド語と音がにている。
きっと対格もあるに違いない。あれはもう、頭で理解しようと思ってわかるものではないと思う。

また、ポーランド語にはない、ロシア語どくとくのキリル文字。これはもう記号やデザインにしかみえない。

ロシア帝国時代は宮廷はフランス語が公用語であり、貴族の強要にフランス語は不可欠であった。(だから、ロシア人の調香師がフランスで活躍したり、言語衝撃が少ないから往来があったのか)

ソ連時代になると、アメリカと世界を二極化したことで大国意識が強まり、アメリカへの対抗意識から国内はすべてロシア語化された。空港とホテル以外に英語表記はほぼなく、観光名所の多い国でありながら、旅行者にとっては非常にハードルの高い旅先になった。ソ連崩壊後もその状況は続いた。

モスクワはそれでも最近英語がでてきたらしい。乗換の案内に英語がかいてあったり、ロシア語だけだった路線案内「次は○○駅・・・」みたいのも、ロシア語のあと英語が使うように。

今私のまわりでロシア熱があつく、母もいったけど、友人もロシアロシアいっている。私はお土産のいくらを食べながら、自分もいつかシベリア鉄道にのる旅をしたいと思いを馳せるのでした。


2019年10月18日金曜日

オレンジワイン

白でも赤でもロゼでもないかすかに濁ったオレンジ色のワインがある。

名前や色から想像すると、さわやかかんきつ系ノートのワインかな? と思うけど、口に含めば独特な味わいに驚かされる。

ナッツのような味わいで肉魚チーズとも会う。6度から14度の間でおいしくいただける。オレンジワインは英語でも「umami」と表現される。
出汁やスープストックのような味わいを感じるものがおおいため。

鍋料理やウナギなどの日本食、納豆やキムチなどの発酵食品、とりみや粘り気のあるものとも相性がよい。

ジョージアを起源とするその歴史は何千年も前にさかのぼる。
地中にうめられた大きなつぼのなかでブドウを発酵させるというあまり人の手がかからない自然な方法でつくられていた。数年前にイタリアの生産者が作り始めて人気に拍車がかかり、最近の自然派ワイン人気もあいまって、オレンジワインの復活を後押しした。

オレンジワインは赤ワインの醸造方法で作った白ブドウのワイン。ブドウの皮や種も一緒に漬け込む。「スキンコンタクト」という工程を経てつくられる。そのときに抽出されるタンニンがワインを琥珀色にそめ、味に深みを添える。


2018年11月16日金曜日

山の人(ザコパネ)

ポーランドにいたころ、ザコパネの名前は毎週のように聞いていた。語学学校にいっていて、必ず週明けの授業で、休みのときは何をしていたかという質問がされて「旅行にいっ
ていた」「ザコパネにいっていた」と。とくに冬はスキー。私は足もなければスキーにもいかなかったけど、クラクフなど観光地に行くと必ずザコパネの空気を感じた。ザコパネの独特なデザインとか文化みたいなもの。外国人にすらわかるのだから、ポーランド人には特別なんじゃないかな? と思った。

ザコパネは、ポーランド(ポールって平原って意味で山など起伏がすくないんだけど、ザコパネだけは特別。グラ(山)の話はいつもザコパネだった。

スロバキアとの国境。ザグラニッツェ、山の向こうには外国がある。

ザコパネ・・・当時、なんでいかなかったんだろうと思う。クラクフまでは何度も言ってるのに。クラクフからザコパネはもう少しだったのに。ザコパネのためだけにポーランドにいきたい。

2018年11月15日木曜日

シラカンバ

長野県にいくと白樺をよく見る。美しい白い皮。
お世話になっているコスメメーカーさんがシラカバジュエキエキスをオリジナルで作っている。

精油はサリチル酸のすーはーする香り。

この白樺はスウェーデン全土にも分布していて北欧の暮らしに根付いている。
北欧家具デザイナー、ブルーノ・マットソンのテーブルやいすなどにも使われている。
材質がなめらかで柔らかいので、カトラリーやかごなど手工芸品にも多く使われている。



葉はウールの染料に、洗浄成分があるので衣類の洗濯にも使われていた。

長野の樹液はコスメに活用されていたけどこれをスパークリングワインにしたものがスウェーデンにはあるらしい。



2018年11月14日水曜日

グレン・グールド

ピアニストのお客様の妹さんがグレン・グールドを追いかけてカナダにいったブログを熱心に読んでいたことがあった。私のなかではグールドと名前をきくと、このかた。(マサコさん)をイコール式で作ってしまっているくらい。私はグールドをマサコさんによって知った。

***

ピアニスト グレン・グールド 
天才。文字で書くと急になんだか安っぽくなるのはなぜだろう。
トロントにグールドはいた。

彼のエピソードの数々は「普通じゃない」という感想。

だけど私は変態が好きなので興味がわく。

「ホテルに夕食に呼ばれて、八時くらいに約束する。あった途端すごい勢いで話し始めて夜中の一時をすぎたころグレンがハッとするんだ。『あ! 何か食べる?』」って。

まーなんていうか、8時から1時まで話を聞いていたほうも聞いていたほうだと思うけど、なんだかすごい。

スピード狂のドライブ好きで移動は常に車。ダッシュボードに左足を乗せてハンドルを鍵盤のように弾きながら運転するんだ。大声で歌ってね! 街中でもお構いなしだったから速度違反のチケットを山ほどきられていたよ




7歳で王立音楽院に入学。13歳で初リサイタルを行い22歳NYデビューで世界に名前を知らしめた。(すごいイケメン)50歳で他界。

「グレンの追い求めた芸術は日常と切り離されたもの。ここ(トロント)ではない場所にあるものだったから」

「ここではない場所」それは、トロントから北に900キロアルゴマ地区。北米五大湖の一つスペリオール湖と清流アガワ川が無数の木々を養う森林地帯。

とくに「ワワ」という小さな町の周辺。グレンは1964年はじめてここを訪れる。
聖なる土地での癒しを求めてトロントから10時間車を走らせてやってくる。ホテルにこもって書き物をして過ごしていたらしい。ドキュメンタリーの構想、ライナーノーツ、記事など。

グレンだけでなく、平凡な人にとっても、こういう場所って必要なんじゃないかと思う。私もこういう場所がほしい。東京の日常から離れる場所。できれば一人で。

2018年11月2日金曜日

フィレンツェ中央市場

フィレンツェの中心のドゥオモ広場から歩いて10分くらいの場所にある中央市場。
様々なイタリアの食材が扱われていてとても楽しそう。
二階はフードコートで夜二時まで営業している。

こんなのあったらたまらないなー。ワインが1.5ユーロでコップについでもらえるとのことなので、ワインのみつつ、つまみを食べつつ・・・ずっと居ついちゃいそう。

ネルボーネというパニーノやさんは大人気とのこと。
私なんか駅でうってるサンドイッチですら「うまーーおいしーー」といってしまうのに、町の人が大好きで並んでゲットして食べているときくと、これはぜひ食べてみたい。

フィレンツェっていったことが何回かあるのだけど何したというわけではなく、旅行者として美術館いったり、町をぶらぶらしたりしただけ、しかもすごーい昔。
イタリアいきたいな。